ひとりで来れるのは、ここまで

(※今から書く内容は「何をいまさらどうしたというのだ」というとても浅はかな内容です。)

ある日のことだった。

「わーーもう誰かに遠慮してスピード落として働くんめんどくさいつまんないマネジメント無理だ思い切り仕事したい」病

が炸裂した。

なんでだろう、何がきっかけということもなく、その気持ちが爆発したのでもう行動するしかなかった。D×Pを辞める気はなかったけど、副業ならいいかな、と思った。ふと友人の起業家の顔が思いついて即座に連絡した。シンガポールとベトナムでIT系ベンチャー企業をやっている彼に「ちょっと働かせてもらえない?」とメッセを送ったら、「さっちんみたいなエース級の人歓迎\(^o^)/」と絵文字満載でOKをくれた。休暇をとって現地で仕事をしようと思って休みの算段までつけた。

さっそくリモートで仕事をしていたらガンガン受注するので面白くてどんどん続けた。成績表に自分の名前が刻まれた。

それを見て、ハタと、気がついた。

「あ、わたしがひとりで来れるのって、ここまでか」

と。

そういえば、昔保険の営業でトップをとれたときも同じ感覚があった。営業結果が張り出された掲示板のトップに、自分の名前がある。試行錯誤を重ね、コミュニケーションを重ねてきた。ついにここまで来たのかと感慨深くてじっと見上げていると、その模造紙の数センチ先に天井があった。その時「ここまでしかこれないのかあ」と、ぼんやり、思った。いまはDxPという組織のなかで、みんなと働いたことがあるからさらに痛感した。個人プレーでいけるのはここまでだ。どんなに走りきって圧倒的なクオリティ出しても、ひとりなら、ここまで。遠くにはいけない。

はやく行きたいならひとりで行け
遠くへ行きたいならみんなで行け

If You Want To Go Fast, Go Alone. If You Want To Go Far, Go Together.

という言葉がある。アフリカの諺だそうだが、語源はわからない。わたしはこの言葉を知ってはいたけれど、自分の実感値として持てていなかった。でも、今やっと、この言葉が腑に落ちる。

そして、わたしの実感はこの言葉ともちょっとちがう。「はやくいく」はあくまで自分軸のはやさだ。でも世の中には色んなはやさがある。みんなと行くのはスピードを落とすことでも、レベルを落とすことでもない。自分の定規でスピードを測るのは、浅はかだ。とてもナンセンスだ。わたしにはできることもできないこともある。わたしはわたしの定規のなかで、わたしにしかできないことを圧倒的にやる。でもそれは、みんなと行くんだ。多様なみんなと行くんだ。それぞれ個性も強みも違う、みんなと。

そんなこと前から気がついていたと思ってたのに、心のどこかで理解出来てなかったのかもしれない。いや、実感はしていたけど、最近仕事が多すぎて疲れてしまっただけかもしれない。よくわからないけど、一巡して「みんなと行く」という決意に戻ってこれてよかった。

現地に行く予定だったのをとりやめて、休暇は別のことをすることにした。もっと、みんなで楽しくワイワイ一緒に働いていくために、必要な仕事を。

私に仕事をさせてくれた起業家の友人に謝罪の連絡をすると、「ちょ、俺とんだ浮気相手やんか〜。これなんて言うん?当て馬?」と大爆笑してくれた。そしてこう言った。「でもありがとう。短い時間だったけどさっちんのおかげでいいお客さんに会えたよ。さっちんはやっぱりいろんなベンチャーでエース貼れるよ。でもだからこそ、さっちんにとって今一番難しそうな山、のぼりな」と言った。度量が深すぎて平伏した。ここまでしないと気が付けない自分が本当に馬鹿みたいで反省したけど、でももういいや。悟りは遅いけど、早く行動して、早く気づけばいい。そういう人生なんだ。

家でごはんをつくっていると娘が突然、にやにやと笑いながら近づいてきた。「なあ、おかあさんのしょうらいってなんなん?」と、言う。「将来の夢」という意味らしい。彼女が敬愛してやまない4年生のYちゃんの将来の夢は、動物園の飼育員さんになることだそうだ。「なあ、おかあさんはなんなん?」とまた聞いた。

「おかあさんの将来の夢は、みんなが、明日も生きてみようかなって思える社会をつくることだよ」

よどみなく言えた。

「それを、希望っていうの」と補足すると、「キボウか〜〜〜」と言って、新しい単語を覚えて嬉しそうにニヤニヤと笑う娘につられて、私も笑った。

みんなで行こう。