どんなに好きな仕事でも

「どんなに好きな仕事でも休憩って要るんだね」

と私が呟くと、画面越しの友人は「ほんっとに好きな仕事なんだねえ」と目を見開く。いまだにオンラインでの雑談に付き合ってくれる貴重な友人だ。

「休憩が必要なんて、あたりまえだよ。どんなにカラオケが好きだって歌い続けてられないもの。でも、好きだと歌いたくなるよね、喉、枯れても」

歌うのが大好きな彼女らしい一言に目を細める。でも次の瞬間キッと睨まれる。画面越しでもわかる彼女の切れ長な目から発せられる眼光。

「でもね、さっちん。カラオケと仕事はやっぱり違うんだよ。今の時代、好きじゃなきゃ価値すら出せないのはわかる。私もフリーランスだからわかるけど。わかるけど。でも仕事はさ、その先にだれかいるじゃん。価値出さないといけないじゃん。だから、喉枯れても歌うのはやっぱり良くないと思うんだよ。だからちゃんと休憩したほうがいいよ。さっちんのことだから寝る時間はきっちり確保してるんだろうけど、寝る以外は動き回ってるでしょ、どうせ。D×P(私の職場)のことばっかりやってんでしょ。そのくせきっちりご飯作ってお迎え行って子どもにも八つ当たりせず旦那さんに優しく生きてるんでしょ。あーあーあー、ようやってるわ。非の打ち所もない。でも、寝るだけじゃなく、休みなよ。きっちり歌うためにさ」

マシンガントークに怯んだけど、その通りだなと思ったので「うん」と頷く。

彼女は笑いながら

「あーあ。わたしはあんたのまっすぐすぎて、ねじれもなくて、非の打ち所もないように見えるところが嫌い。好きだけど。せいぜい頑張ってよ、仕事。」

わたしは、彼女のストレートな物言いが好きだ。

久しぶりに先日はゆっくりして、京都市内へ一人で行ってゴッホ展に行ったり、お店を物色したり、& noma CAFEに入ったり、ホホホ座三条大橋店でまったり本を読んで気に入った本を3冊も買った。散歩して、なんでもないような時間を過ごした。ホホホ座にある、なんの役にたつかもわからない無駄っぽい本が好きだ。ゴッホは鬱だし、植木一子さんの本も鬱だった。鬱っぽい世界に久しぶりにとぷんと入った。

人生で初めてスキーも行った。滑る滑る。滑りすぎて止まらない。止まる方法はひとつ、転ぶこと。止まるために転んでは大笑いした。神鍋高原のゲレンデから見える風景は、真っ青で何もなかった。

 

どんなに仕事が好きでも休憩っているもんだ。

わたしは、とても元気です。