“せっかくつくったのに”の献身性と呪縛

ものすごく細かい話をする。

娘はズッキーニが苦手だ。

でも以前、ズッキーニを輪切りにしてオリーブオイルで焼いて、上にベーコンを載せてシュレッドチーズをぶっかけてとろとろにした料理を出したら「おいしい!これいいな!」って言ってモリモリ食べていた。なので近所の農家さんから届く野菜セットのなかにズッキーニが入っていたらうちでは「ズッキーニチーズベーコン焼き」をつくるのが定番だ。

なので、今朝冷蔵庫に余ったズッキーニを見つけた私は、いつもどおりお弁当のおかずにと「ズッキーニチーズベーコン焼き」をつくった。こんがりやけるチーズとベーコンの匂い、とろりとするズッキーニ。チーズとベーコンのしおっけがズッキーニに混ざってとっても美味しい一品になる。

お弁当にいれるので冷ますためにお皿に持ってリビングのテーブルに置く。絵本をもくもくと読んでいたむすめは「ズッキーニチーズベーコン焼き」をちらりと見ると、ちょっと不穏な顔をした。眠いのかな?と思って放っておいた。

いよいよそれをお弁当に詰めようとすると、彼女は突然「あんな、ズッキーニきらいやねん…」と遠慮がちに言う。

「えっ、チーズとベーコンのっけたやつはおいしそうに食べてたやん」と返すと、「でもな、きらいやねん…」と申し訳なさそうに言う。

「そっかあ」と言ってズッキーニをお弁当に詰めるのをやめて、他のおかずをたくさん入れ込んだ。

反射的に、「えーーーっ(不満)」の気持ちが湧いた。えーっ、せっかくつくったのになあ、でも嫌いなもんは嫌いだししょうがないよなあ、でも食べてもらえないのかあ悲しいなあ…と。たぶん「そっかあ」の言葉にその私の気持ちが混ざった。

娘がこっちに来て抱きついて泣いた。私の不満を察知したんだと思う。静かに泣いていた。うわーやってしまった。いや〜察知能力高いですよねあなたって〜。嘘付けなーーい。いや、嫌いなもんは嫌いでいいしあなた悪いところなーーい。お弁当に詰める前に言ってもらったほうが残さずにすむしいいよね〜〜〜いやえらいですあなた〜〜〜。そもそも「せっかくつくった」ってなんなんだ、気持ち悪いぞわたし。そんなんわたしの押しつけだ。あー朝からこんなズッキーニみたいなちっさいことで、かわいい娘泣かせたくないぞーくっそーーー(心の声)

深呼吸した。

「嫌いなもんは嫌いでいいんだよ。教えてくれてありがとう。◯◯(娘の名前)はいっこも悪くない。」と言うと、コクリとうなずく。

「お母さんはせっかくつくったのになあって思って、さっき、ちょっと悲しいなあって思っちゃった。その気持ちも◯◯はわかるから泣いてるねんな」と言うと娘の目からさらに涙があふれて抱きつかれた。

「でもな、”せっかくつくった”なんて、押し付けだった。ごめん。お母さんは自分の好きなようにご飯つくるわ。それで◯◯が食べても食べなくても気にしない。お弁当箱に入れてほしい好きなものをこれからも教えて?」

と正直に言うと、娘はニヤっと笑って「◯◯は、かぼちゃ焼いたやつ好きやわ!」と言う。「わたしも好き。つくるの簡単だし」と言って2人で笑った。

ひとまずズッキーニ事件が収束して朝の身支度をして家を出る。

ふたりで一緒に駅に向かいながら話した。

「かぼちゃまた買おうなあ」と彼女が言うので「うん」とうなずいた。「かぼちゃ焼いたおかずは簡単だから、今度教えるね。硬いから包丁で切るのはひとまずお母さんかお父さんがやるけど、5-6年生になったら切るのもできるとおもうわ」というと、「そうやなあ、かぼちゃはカタイねんな〜〜」と訳知り顔で頷く。「◯◯がもうちょっとおっきくなったら自分でお弁当つくろうか」と言うと、「うん!」と言って彼女はいつもの太陽みたいな笑顔を見せた。

そうだ、ちょっとずつ教えるから、彼女は彼女の好きなものを、自分でつくってお弁当に詰めたらいい。わたしも自分の好きなものは自分でつくるんだ。

わたしはもっと、わたしらしく自由に生きれてるだろうか。

”せっかくつくったのに”という声の裏に、自分のなかにある気持ち悪い家族への献身性と”だから食べろ”という押しつけがあった。わたしは、いわゆる世間一般から見たら、本当に自由きままに生きてるオカンの属性だと思う。そんなわたしでも、幽かに残る呪縛のような献身性があるのだと気が付かされる。「ズッキーニチーズベーコン焼き」(クックパッドのリンク貼りました笑)はまじで大したことない手間のかからない料理なのに、それでも幽かに相手に自分の献身を押し付けてる。献身性は自分を縛り、相手を縛る。いいことない。わたしはこんなにかっこ悪い人間だったんだなあ、と、ムスメとのちょっとしたやりとりで気が付かされる。

純粋に、「これしたら喜ぶかな」って考えて、結果として喜ばれたら嬉しいし、喜ばれなくても気にしない関係性でいたい。

わたしはもっと、もっともっともっと、自由に生きていたい。
そういう姿を彼女が見ているものだし。