「あなたと一緒にいると自分が惨めになる」
と言われることが高校生ぐらいのときからとても多かった。「自分の思うように突き進んでいると、近くのだれかを傷つけていた」ということが何度もあった。何度もあったのに、そのことを深く反芻できないまま20歳になっていた。
20歳のとき、当時お付き合いしていた彼が亡くなった。わたしは彼の死後、彼の部屋から出てきた彼からの手紙を読んだ。手紙といってもノートの切れ端を雑にちぎったようなもので、でも確実にわたしにあてられた手紙だった。そこにはドラマみたいな感動的なメッセージなんてひとつもなくて、私への憧れと妬み、自分への苛立ち、将来への焦りが殴り書きされていた。
わたしは、彼の死に打ちひしがれながら震える手でそれを読みだした。でもすべて読み終えたとき、殴り書きされたその文章に、文字通り殴られたような思いがした。
わたしは当時のインターン先で成果を出すのに夢中で、彼の苦しみをなぞることさえできていなかった。気がつかなかった。ほぼ毎日22時ぐらいにインターンでの仕事を終えて茅場町駅から東西線に乗り込むと、わたしは彼にメールをよく送っていた。あとから見返すと、本当に一方的なメールだった。元気してる?わたしは元気。仕事のここが難しい、でもこの目標は達成したい、どうやったら効率よく進むんだろう、今日はこういう人に会って楽しかった、そんな内容ばかりだった。とにかく彼の前で背伸びばかりをしていた。
彼の手紙にはこんな言葉があった。
「佐知はすごい。すべてに誠実に頑張ってる。でもいっしょにいると、自分が惨めになる。そんな自分が死ぬほど嫌いだ」
その言葉にただただ打ちのめされた。
そのあとわたしがどうやってその手紙をバッグにしまい、彼の部屋を抜け出して、電車に乗って家に帰ったのかはもはや全く覚えていない。でも、フラフラと危なっかしく歩き、電車の中で延々と涙を流す謎の女だったのには間違いなかった。
その後、
延々と考えを巡らせながら
「自分は強者で、正論で生きてて、しんどいひとの心のありようを理解しづらい人で、ナチュラルに強者の理論を押しつける奴なのかもしれない」
と思った。
わたしはふつうに生きてるだけで、こんなにも人を傷つけて惨めな思いをさせてしまうのだと気づいた。自虐でも卑屈でもなく、いたって冷静にそう感じた。
世の中には動けずにいる人がいる。それは本人だけのせいじゃなく、さまざまな環境がその人をそうさせなかっただけだ。たまたま環境に恵まれたわたしがわたしらしく生きているのを見るのは、つらい。
最近もこんなツイートを見かけたがまさにこれだ〜と思う。
「嫌いな訳では無いけど精神的に余裕が無いと会えない友人がいる」って言葉最近聞いた中でむちゃくちゃしっくりきてる
意識高い話する友人とか結婚適齢期とか一般的な人生の話する友人は精神的に余裕が無いと詰むので無理
分かる~~~~~~~~— 兰色🤪19一般 (@ailanse) August 15, 2018
嫌いじゃないのだ。決して彼はわたしを嫌ってはいなかった。だけど、しんどい。太陽のように嬉々として笑うわたしを切り刻んでしまいたい気持ちと、でもそんなふうに思う禍々しい自分を絞め殺したい気持ちがないまぜになるのだ。
そしてその彼の苦悩の断片をわたしが知ったときには、彼とはもう一言もやりとりすることができなかった。彼は亡くなったのだから。
理解できないという前提からスタートする
それからわたしは、あるきっかけがあり児童養護施設で働くようになった。児童養護施設とは、様々な事情で親や保護者とともに暮らせない子どもが集まる生活の場だ。
そこでさまざまな人に出会った。達観して世の中を見渡していたある人には気づきと勇気をもらった。自分ではどうしようもない感情を抱え、刃を振り回すしかない人もいた。刃をただ受け止め、ただひたすら聞いた。自分の価値観や経験則は、脇に置いておいた。わたしは目の前のその人に関心があったから、自分のことなど脇に置いておいたほうが都合が良かった。ただひたすら彼らの世界観にとっぷり浸かって話を聞いた。そうすると、これまで見えてこなかった世界があり、発見があった。
D×P(ディーピー)で働き出してからもそうだった。D×Pは若者支援 NPOで、関わるスタッフはとても多様だった。いまだに正論で生きてしまうわたしを上司に持ち、インターン生は傷つくことも多々あったと思う。でも彼らはわたしを諦めずにいてともに働き続けてくれた。わたしはたくさんのことを教えてもらった。わたしにとって、あの施設で出会った全ての人、D×Pで出会った全ての人が先生であり神様だ。
それからもずっと、「自分はしんどいひとの心のありようを理解できない人だ」と思い続けた。自分自身にナイフを突きつけるような言葉だけど、わたしにとっては大切なことだった。今もその想いは変わらない。彼の死のインパクトが10年経ってもいまだに残っていて、離れない。きっとそれでいいんだと思う。誰かと話すとき「理解できない」という前提から常にスタートできるから。
「生産性がない」強者の理論は自分にもないか?
「LGBTのカップルのために税金を使うことに賛同が得られるものでしょうか。彼ら彼女らは子供を作らない、つまり『生産性』がないのです」
そう言った議員がいた。Twitterで生産性のあるなしの議論を見るなかで、そのやりとり自体に打ちのめされているうつ病中の友人がいた。彼女は「自分は生産性皆無だ」と電話の奥でつぶやいた。
若い世代の自殺のニュースを見て「他人のせいにするな!政治のせいにするな!」と吠えたサッカー選手がいた。そのツイートを見て、好きになりつつあったフットサルに打ち込めなくなった知人がいた。彼の手首には無数の傷跡があった。誰よりも自分を責め続けていた彼には、重たい言葉だった。
望月優大さんは、こんな言葉を引用して彼らの言葉の危うさをブログで指摘していたので、過去の記事だがぜひ読んでほしい。
自分は自分の力で頑張ってきたんだという強い自意識があるから、社会的な弱者に対して「他人のせいにするな」と平気な顔で言い放ってしまう。自分が成功したのは自分ががんばったから、そして、他人が成功しなかったのは他人ががんばらなかったから。あまりにも単純で、あまりにも狭い。物事の複雑な因果を一つの偏狭な図式に当てはめて理解し、それによって成功者としての自分の過去に肯定的な価値を与える。今日もまた一人、また一人と、成功者たちが「自己責任論」のダークサイドに墜ちていく。
強者の理論はいつも強い。
そして、「あーあの議員ひどいこと言ってんな」じゃなくて、実は気づかずに、自分の中に自然とすくう強者の理論があることを忘れたくない。
「生産性がないから支援の必要なし」と言った議員さんに猛烈に反論しているけど、実はその反論した人の心の中に「誰かに迷惑をかけちゃいけない」「何かの役に立たなくてはいけない」という想いがあるのだとしたら「生産性ないから支援の必要なし」のロジックと、実は根っこはそんなに変わりなかったりする。強者の理論は静かに佇む。
仮に、生存している時点で誰もが強者なのだとしたら、生きづらさを抱えながらも生きてはいるわたしたちもまた、なにかしらの強者の理論を持っていると思ってていいんじゃないか?
ふとしたときに強者の理論を振りかざしてしまうかもしれない。自分の中に凶器があるかもしれない。わたしは、たぶんずっとその危機感を持ち続けると思う。だからって、遠慮したり自分を押さえつけたりはしない。わたしがわたしのままに生きてるだけで傷つく人はどうしてもいる。それはもうしかたのないことだ。だけど、話すことはできる。聞くことはできる。そう確信できたのはD×Pに来てからだった。
D×Pは、大人が高校生と話すとき、「否定しない」姿勢で関わる。例えばその大人が、「努力すれば報われる」という学びを自分の経験から得ていたとしても、「努力すれば報われるよ」と高校生には言わない。努力すらできない状況下や、報われなかったケースを無視する言葉になるからだ。でも、「僕は過去にこういう経験があって、あのとき努力してよかったな、報われたなって思ったよ」と自分を主語にして自分はこうだった、と伝えるのは否定じゃない。あくまで「自分は」であって、抽象化しない。正解だとは言わない。押し付けない。それが否定せず関わるということだ。
(だから、わたしはインターネットでの発信も冗長になるけどなるべく「私は、ーー思う」をつける。読み手としても、すべてのインターネット上での発信は、そこに主語が入ってなくても「この人は、こうなんだな。」と主語入れて読んでます。)
「あんたなんかに分かるわけがない」の分断
わたしには、危機感がある。
「当事者」と「非当事者」、「理解できるやつ」と「理解できないやつ」で大きな大きな壁ができることだ。やりきれない思いを抱えて、「あんたなんかにわかるわけがない」「やっぱりあんたはなんにもわかってない」、と当事者が周囲に刃を振り回して吐いて捨てるとき、当事者じゃないひとはドン引きする。「君子危うきに近寄らず」というように簡単に離れてしまう。
「もうどうしようもなくなって刀を振りかざして周囲を攻撃するしかなくなって、ロジックもなんもかんも崩壊してる状況」の当事者を見たとき、当事者でない人が「ドン引き」してしまうんだということに気がついて。
そっか、反感や不信じゃなくて、「ドン引き」なのか、と気付いてはっとした。
— さっちん / 入谷佐知 (@sachiiritani) July 20, 2018
もしくは、過去に学生運動で大きなビジョンを掲げた学生同士が方向性の違いで派閥ができたり、LGBT同士がディスりあうような内戦が起きる。いわゆる内ゲバだ。そもそも世の中では性的マイノリティが左利き人口と同じくらい存在することすらまだ認知されていないくらいで、そこで争っている場合ではないのに、それぞれがそれぞれの強者の理論をかざす。
わたしは、共に暮らしたい。
全員と仲良くしようとかそんな意味じゃない。全員と仲良くするのは不可能だ。でも仲良くなんかしなくたって、共に暮らすことはできる。ずっとずっと大きい目標なら共有できる。
当事者からものすごい攻撃を受けたときに、「どういう世界が見えてるのかなあ」と相手に関心を持ててたらいい。攻撃されたという事実から、自分の経験則での解釈をせずに。理解はできなくていい。ドン引きせずにその人のそばにいられるような余裕と関心があったらいい。な、と。
— さっちん / 入谷佐知 (@sachiiritani) July 20, 2018
私も、精神的にゆとりがないと会えないと思われている人間だということに25歳過ぎに気づき、人と関わるのが怖くなった人間です。
それから、気づいただけで、何を変えることもできずに、そんな自分に嫌悪感と共に憐れみを感じて、でも、わかってほしいと思いながら50歳過ぎまで生きてきました。
そして、今、還暦を前にして、ようやく、いろんな人々のもつ、いろんな世界を普通に受けとめ、逃げすに純粋に「あなたの世界を知りたい」と思い、関わることができるようになりました。
サチさんのとろけるような笑顔はその大きな哀しみに裏付けされていたのだと、とても納得し、ますますもっとお話したくなりました。
本当は、こういう形ではなく、ゆっくりお話したいなと思いましたが、まずは、私のなかに感じたなにかを伝えたくてこちらからメッセージしました。
秋になってしまうけど、必ず、そちらの事務所に伺いますね🎵
うまく言えないけど、魂を削った言葉を本当にありがとうございます。
清野さん、ありがとうございます…!そうだったんですね。25年間、かなしさをずっと抱えておられたんだな、と思いながら読みました。コメント、嬉しいです。なかなか直接お目にかかれませんが、メッセージいっぱいに清野さんの存在を感じました!