死んだつもりになったら、生き返った話

‪ある日を境に、わたしは食事が思うようにとれなくなった。耳の聞こえも悪くなった。できなくなったことが増えた。今までのように仕事ができなくなって、正直「がーん」という感じだった。

こんな祖母の言葉にも救われながら、「まあ、いろいろできない自分もまた自分か」と、この状態を受け入れ始めた。こういう遊びも始めたりして、だいぶ楽しくなっていった。

しばらくするうち、「そうか、わたしはあのとき死んだのかもしれなかったんだ」と思うようになった。そして「死んだのかもしれなかったなら、生き残ってだいぶラッキーだったなあ!」と感じた。

ちょうど同僚に「一ヶ月休んだつもりで全部のタスクを振り分けてみて」と提案されていたけど、一ヶ月休むなんてとんでもないと思って最初はその提案に頭をかかえた。言葉も出なかった。でも、「死んだかもしれなかったんだあ」と思うと、いろいろと吹っ切れた。生き残ってるし、仕事もできてるのだから、自分の頭の中にあるもの、自分がやっている業務をいまのうちに全部組織に落とそう!と思った。

「死んだかもしれなかったから」は、マネジャーである私にとって最強キーワードになった。

死んだかもしれなかったから、なにか仕事が降ってきたときに「自分でやる」という選択肢をいったん排除できた。

死んだかもしれなかったから、なにか相談を受けたときに「次、相談を受けずに、その人が自分で意思決定してもらうにはどうしたらいいか」をひたすら考えた。

死んだかもしれなかったから、「私は普段どういうふうに考えて意思決定をしているのか」を考えて「私だったらこういうときはこうする」を丁寧に伝えるようになった。とにかく遺言残そうと思った。

あとになって、あるNPOの事務局長の方に、「プロジェクトマネジメント理論上では、どんなに危機的な状況でもマネジャーが【自分でやる】という選択をしないのが正解らしいよ」とかろやかに言われた。どんな状況でも、自分でまきとらず、他の方法がないのかをひたすら考えるらしい。うわー、そうなんだあ、とぼんやり思った。

 

しかし、この言葉選びは正直よくないという自覚がある。

昔、わたしは大切な人を亡くしている。彼だけでなく、明日を迎えられなかった人を、31歳ながらたくさん知っている。「死」という言葉は、わたしのなかですごく重要な言葉だし、いつも「死」を隣り合わせに思いながら、毎日を生きてきた。だから今回のこの言葉選びは、だいぶぶっとんでいる。「死」という言葉をこの文脈でこんなに多用するもんじゃないし、明日を迎えられなかった人を冒涜する言葉づかいだという自覚がある。

 

だけど、このときのわたしには救いの言葉だった。

自分をふるい立たせるための、生きてゆくための言葉だった。「生きてゆくための言葉なら、いいかなあ」と彼の写真を見ながら言った。怒られそうだったけど、許してくれそうでもあった。

 

この「死んだかもしれなかったから」理論が通用したのは、わたしが一緒にはたらく人にいまの自分の状況を共有したからだと思う。最初は、マネジャーである自分の体調不良を伝えるのは、余計な不安を煽ってしまうかもしれないよな、と思って伏せていた。でも「なんでそういう状況なのかは、言ったほうがいいよ」と同僚に言われて、けっこう悩んだけれど、共有することにした。それぞれがどう受け取ったのかはよくわからないけれど、前提状況を共有したので、鬼のタスク振りに精一杯答えてもらえた実感があった。ものすごくありがたかった。

 

そしてすごく面白いことに、死んだつもりになっていろいろタスクを手放してみたら、自分の組織での役割が曖昧になって楽しくなった。役割がなくなり、居場所がなくなったぶん、やってみたいことがたくさん生まれた。あ、こういうのもやってみたいなとか、これやったらもっと目標達成しそうとか、ビジョン達成に近づけそうだなとか、広い視座と細部に渡る戦略性を持つことができた。もっと遠くへ行きたくなったし、もっと近くにいる人を見つめたくなった。

生き返ったのだった。

ほんとはまだ手放せていないタスクがあるので、あともう少しですが。

いろいろつくるぞーやるぞー!という感じです。

 

※この一連の出来事は、発生してから1ヶ月経ったくらいのことです。まだ言語化するフェーズではないのはわかっていつつ、世の中でがんばるマネジャーさんにちょっとでもエールとヒントを送りたくて、がんばって書きました。また更新があったら書きます。マネジャーの皆様、体だいじに、ぼちぼち、やっていきましょう。