「なあ」
気怠げな声だった。
玄関で靴も脱がずにゴロッと横たわった彼女を見て、当時21歳だったわたしはギョッとした。彼女は身籠っていたからだ。切迫早産とかいうやつか?とドキリとして駆け寄った。でも近くで彼女の表情を見ると、そういうわけじゃないみたいだ。ただ、その日は8月で、うだるような暑さで。駅から施設までの道のりが遠く、日差しにやられて消耗しきっていただけみたいだった。
「なあ、まじで、死にたい」
そういったあと、こちらをチラリと見てニタっと笑い、「心配した?心配した?うっそー。暑くて死にたいだけでしたぁ」と言った。
「どっちにしろ死にたいんじゃん」とわたしが笑って返すと、彼女はからかうような表情をやめて、ニカッと笑った。16歳とは思えない、大人っぽい目尻と長い手指。脇には「現代社会」と書かれた教科書を抱えていた。玄関に転がりながら、教科書をいじりつつ、彼女はこんな話をした。
「っていうかさ、私たちはさ、すっごく頑張って働いて年金払うけど、きっと自分がおばあさんになったころにはもらえないよね。」
学校で年金や社会保障の授業でもしたのかな、と思った。
「核家族化が進んでて子ども産んだら助けてくれる人は少ないし、子ども産まなくたってなんで産まないんだ?って言われるし、この歳で産む私はインランって言われる。企業勤めの子たちは、めっちゃ働かされてて理不尽に扱われててしんどそう。私が産んだって、この子は、やっぱ、生きるのつらいよね。そんなところに産みおとしちゃう責任みたいなやつ、感じててさ。」
突然話し出して、口を挟む暇もなかった。なにも言えずに話を聞いた。
彼女はひと呼吸おいて、
「でも、なんでか、わたしが幸せにならなきゃとも思うんだよ」と言った。
「ギャクタイ受けた人は自分の子どもにもギャクタイするって言うじゃん。あれ、嘘だ!って言いたい。わたしの親はあんなだったけど、 “どうだ!わたしとこの子を見ろ!”って言いたい。わたし、だれかの希望になりたい。」
かすかに震えながら、でも淀みなく彼女は言った。
「わたしは昔捻くれてたからさ。そういう人見ても”あんたはわたしより恵まれてるからでしょ”って言ってたし、未来のわたしが昔のわたしに “どうだ!” って言っても “知らんし” って言うかもしれない。でも、その時はわかんなくてもさ、いつかその人の希望になるかもしれないし。だからさ、死にたいけどさ、まあ、もう死なないよ。」
夢中で話したあと、彼女はふとわたしを見た。そして吹き出した。
「さっちー、泣き顔ぶっさいく」
「うるさい」
「超ぶさいく、ヤバッ」
汗なのか涙なのか訳が分からず、なんでわたしが泣いてるのかとか、かっこ悪いとか、でもこの子がこんなこと言うなんてとか、頭をグルグルさせながら玄関で立ち尽くした。そんなことがあった。
そして9年後。
わたしは30歳になり、彼女は25歳になり、その子は9歳になった。しょっちゅうLINEやインスタで送られてくる親バカ写真に、わたしはいつも元気をもらっているし、希望をもらってる。
希望は、キラキラしたものじゃないと思う。絶望を見つめてすくって、その上でもまあ一歩あるいてみようかなと思えることだと思う。希望は、さまざまな人の生きざまそのものだと思う。
だから、わたしは、D×Pの「ひとりひとりの若者が自分の未来に希望を持てる社会」というビジョンが、どんなに青臭く聞こえても、どんなにバカみたいに聞こえても、好きだ。
それは、彼女がきっかけだった。
という話。
※本人の許可を得て掲載しています。
※「希望になりたい」という言葉は、コンポーザーのゆいっぺ(東 唯さん)のインタビューでも出てきていて、去年このインタビューを読んだとき、当時の気持ちを思い返していました。この記事は元インターンのあらちゃんが残してくれた力作なので、よかったらこちらの記事もぜひお読みください
※過去にLINE BLOGに書いた記事の再掲です^^